東寺

東寺は、唯一残る平安京の遺構です。創建から約1200年。1994年に世界遺産に登録されました。真言宗の根本道場とされ、、東寺真言宗の総本山でもあります。実はこのお寺には、「東寺(とうじ)」と「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」という2つの名称があります。宗教法人としての登録名は「教王護国寺」です。寺内の建造物の国宝・重要文化財指定を表す立て札には、「教王護国寺五重塔」などと記されています。しかし、「東寺」も単なる通称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称です。平安時代以降近世まで、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられており、「教王護国寺」という呼称は特殊な場合以外には用いられなかったそうです。現代においても、南大門前の石柱には「真言宗総本山 東寺」とあり、南大門、北大門、慶賀門などに掲げられた寺名入りの提灯には「東寺」とあり、宝物館の名称を「東寺宝物館」としています。結局どっちが正解なのかと思われるかもしれませんが、どちらも正解だそうです。創建当初は「東寺」と呼ばれていましたが、嵯峨天皇より東寺を下賜された弘法大師空海が、東寺を真言密教の根本道場とするために「教王護国寺」に名称を改めたのだそうです。

東寺のみどころ
金堂(こんどう)

お寺の本堂である「金堂」。1486年に創建時の金堂は焼失したと伝えられており、現在の金堂は豊臣秀頼が再建し、1603年に完成した建物です。しかし、礎石や仏壇の位置や大きさなどは、創建当時のままと言われています。この金堂は、桃山時代の代表的建造物で、国宝に指定されています。金堂には、本尊である「薬師如来座像」(やくしにょらいざぞう)を中心に向かって右に「日光菩薩」(にっこうぼさつ)、左に「月光菩薩」(げっこうぼさつ)が安置されています。また、本尊の台座には薬師如来を信仰する者を守護するとされている「十二神将像」が配置されています。これらは、安土桃山時代の名作で重要文化財に指定されています。

講堂(こうどう)
空海が一番力を注ぎ、真言密教思想を表現する場としたのがこの講堂です。立体曼荼羅が有名です。講堂は、823年に東寺が弘法大師空海に下賜された時点では、まだ建立されていませんでした。825年に着工され835年に完成しました。しかし、1486年の土一揆による火災で焼失してしまいました。現存する講堂は、1491年に創建時の基壇の上に再建されたものです。国の重要文化財に指定されています。この講堂には、立体曼荼羅が繰り広げられています。大日如来を中心に密教尊を安置しており、空海の密教の理想が表されています。そもそも曼荼羅とは、サンスクリット語のマンダラ(円、本質)が音写されたもので、人々を救済するために様々な姿に大日如来が変身することを体系的に表し、密教の宇宙感・悟りの境地を描いたものです。それが東寺の講堂には、実際に3Dで立体的に表現されています。その表現方法は、如来像5体・菩薩像5体・明王像5体・天部2体・四天王像4体の計21体によって表されており、立体曼陀羅各像の配置は弘法大師空海自らの発案。他の寺院などでは、例を見ない配置がなされています。

五重塔
国宝に指定されています。高さは、54.8メートルあり、木造五重塔として、日本一の高さです。弘法大師空海が東寺を下賜された時、五重塔はまだ存在せず、本尊を安置する金堂のみでした。弘法大師空海は、826年に敷地内に五重塔を創建しようと試みますが、費用と人手が不足してい順調に進みませんでした。五重塔が完成したのは、弘法大師空海の没後半世紀が経った883年のことでした。その後、創建時の五重塔は、1055年の落雷で焼失してしまいます。その後も再建されては、焼失を3度繰り返し、1644年に徳川家光が寄進したものが現存しています。五重塔は、何度も落雷によって焼失しているため、現在は塔の先端に避雷針が設置されています。しかし、日本一の高さを誇る五重塔ですが、地震で倒壊したという記録はありません。とても高い塔ですが、耐震構造がとられているそうです。五重塔は五つの層を順番に重ね合わせ、木材を堅く結合させないことで耐震構造となり、地震が起きても各層が地震の揺れを吸収してくれるしくみになっています。

御影堂(みえいどう)
御影堂は、大師堂とも呼ばれており、かつて弘法大師空海が住房として使用していた境内の西北部に位置していた「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂です。後堂(うしろどう)、前堂(まえどう)、中門(ちゅうもん)の3つ建物から構成されています。蔀戸(しとみど)がはめられた入母屋造り、総檜皮葺き。この造りは、密教寺院住房の古い形式だそうです。1380年に再建された建物が現存しており、国宝に指定されています。御影堂は弘法大師空海の信仰の中心地で、毎朝6時に弘法大師が生きているが如く、 一の膳・二の膳・お茶をお供えする 生身供(しょうじんく) が現代でも延々と続けられています。この御影堂の前堂には、弘法大師坐像が安置されています。この像は、左手に数珠、右手に五鈷杵を持ち、弘法大師空海の42歳の姿を刻んだものといわれています。鎌倉時代の名仏師である運慶(うんけい)の第四子、康勝(こうしょう)にの作と伝えられており、国宝に指定されています。後堂には、国宝に指定されている絶対秘仏の不動明王像が安置されています。この不動明王像は、弘法大師空海の作と言われています。秘仏と言っても、年に数回一般公開されるものもありますが、御影堂の不動明王像は、厳重秘仏として一般公開などされることもなく、平安時代から修理のために数回、あとは明治21年、昭和29年、昭和46年に調査が実施された記録が残っているのみだそうです。